VIP歴史物語~VIPのルーツを探る~
「VIPの歴史を知りたいです!」。そんなアレスマガジンの読者のリクエストに応えるために、今回は『VIP歴史物語~VIPのルーツを探る~』と題し、雑誌・VIPスタイルが20年以上前に掲載した記事を再編集してお届け。VIPはどのようにして生まれ、そして、発展していったのか。ぜひ、ご覧になってください。
今回の記事はVIPスタイル(VOL.2 / 2000年12月)のものを再編集して掲載。
バブルが生んだ高級車が
VIP文化の礎となる
VIPの基礎はバブル経済によってカタチ作られた。それまで、日本の自動車社会の中で存在していなかった高級車が、バブル経済期に誕生。31シーマや10セルシオは、まさにその象徴だった。
バブル絶頂の1990年、ワイズスポーツが31シーマ用エアロパーツをリリース。それに続き、1992年にはエボリューションとクラフトハウスが10セルシオのエアロを発表。今に至るVIPの源流がここにある。
同時期に、データシステムからエアサスコントローラーが発売されたのだが、このサスコンがなければ今のようなVIP文化はあり得なかった、とも言われている。
VIPの芽生えは
大阪と仙台のオーナーたち
VIPの始まりはバブル経済の終わりと共にやってきた。バブルが弾けると同時に、街を走り回っていた高級車が中古車市場に流れてきたのである。
この時、高級車に目を向けたのが、大阪と仙台の若者たちだった。特にバブル時代に社会現象にまでなった31シーマに人気は集中。
VIPは一体どこから始まったのか。起源については大阪説と仙台説の2つがあるのだが、どちらが先というよりも、むしろ偶然に、ほぼ同時期に、大阪と仙台で生まれたと考える方がいいだろう。
大阪のナビオ前では、ホイールとマフラーを変更した31シーマが人気の的だった。やがて、その中から最初のセダンチームとしてVIPカンパニーが誕生。大阪VIPの基礎を築いたのである。
そして、仙台では神林サンが31シーマのドレスアップを開始。彼の周りの仲間たちと共に、仙台VIPが盛り上がっていく。
神林サンの31シーマ。モアコラージュ×ワイヤーホイール。サスコンでローダウン。
クラブ誕生と
オーナーからメーカーへ
高級車が中古車市場に流れると共に、そんなクルマに憧れる若者たちがどんどん増えて行く。
メーカーはまだ少なかったが、先に挙げた業者の他、インパルやTMオートパーツ、モアコラージュといったメーカーからも高級セダン向けのパーツが発売され、それも人気の後押しとなる。
そして、徐々に、オーナーたちはクラブ単位での活動を始めていく。大阪ではクラブファイナルやドレスアップカンパニーが誕生。仙台ではカルティエが発足し、周囲に影響を与えた。
特にカルティエのリーダーだった丹野サンは、大黒パーキング、北海道、大阪南港と精力的に出向き、その地域のVIPオーナーたちと親交を深めていった。交流好きなVIPオーナーのルーツは、その当時の丹野サンにあるのかもしれない。
そして、クラブファイナルに所属していた武富サン(現・ジャンクションプロデュース)は、その商品開発能力を武器にエアロパーツを製作。スタイリングの良さはもちろん、徹底したイメージ戦略も打ち出し、VIP=ジャンクションプロデュースという図式を作り上げていった。
丹野サンのセルシオ。ベタベタの低車高。各部をブラックアウト。
ジャンクションプロデュースの13クラウン。ここからJPはスタートを切る。
96年夏の菅生サーキット
オリジナリティの追求
当時のオーナー車はオールペンはほとんどなく、ボディ色は黒と白が中心。エアロをつけ、車高はベッタリと落とす。
そんなスタイルに変化の兆しが見えたのが、1996年の夏。仙台の郊外にある菅生サーキットで開かれたイベントに、関東からスペシャリストが参加。大黒仕様と言われるトランクルームのフルオーディオ仕様を披露する。同日にデビューしたトレンディは、VIPにオーバーフェンダーを持ち込んだ。同じ頃、大阪のカークラブジャパンもオーバーフェンダーに挑んでいる。
翌年の春、トレンディはオーバーフェンダーとオールペンを施し、さらに、それまでには考えられなかったほどに変化させたエアロのワンオフ加工を披露。これ以降、VIPはワンオフ時代に入る。
大黒ミーティングが
VIPの人間模様を変えた
VIPを大きく変える出来事が1997年5月に起こる。東京湾岸高速の大黒パーキングをホームにしていたスペシャリストのリーダー・肥後サンが、ゴールデンウィークを利用して、全国のチームにミーティングを呼びかけたのである。北海道、岩手、宮城、大阪、兵庫などから、チーム単位でオーナーたちが集結したのだった。
1997年5月3日の大黒ミーティング。大林サンをはじめ、凄い面々が写っている。
この大黒ミーティングに集まったオーナーたちは、名刺交換を行い、地元に帰ってからも連絡を取り合うように。オーナー同士の全国的な交流の原点は、この時の大黒ミーティングと言える。
この大黒を経験したオーナーたちが地元に戻り、全国で、土曜の夜にミッドナイトミーティングが開かれるようになる。時には他県からゲストを迎え、地域のドレスアップを活性化させることも。
その意味で大きな存在になったのが、グロウレッドリーの大林サン(現・Kブレイク)と大橋サンだった。彼らは北海道から九州まで日本全国のイベントを巡り、無数のトロフィーを獲得。同時に、彼らの愛車を見せることで、質の高いドレスアップの本質を知らしめていく。オーバーフェンダー、インテリア、トランクオーディオ、追加メーター、給油口エアブラシなど、VIPにトータルコーディネートという概念を持ち込んだ。
遠い地域のイベントにも積極的に参加するというのを一般的にしたのも、大林サンと大橋サンだった。また、彼らは自分たちに声をかけてくれるオーナーやギャラリーを大切にした。VIPオーナーの絆の深さは、そんな彼らの振る舞いによるところが大きい。
肥後サンのトランクオーディオ。今でも十分通用するクオリティの高さ。
ご存じの通り、その後、大林サンはKブレイクを創設し、14マジェを発表。
人と人の関係により
VIPは進化する
1997年の夏。あの伝説的な大黒ミーティングから3ヶ月後に、再び、菅生サーキットにオーナーたちが集う。
そして、そこで全国屈指のトップレベルのオーナーたちがオールジャパンエレガントファミリーを結成。これが限定チームの始まりであり、また、地域やチームを越えた、人と人との繋がりの第一歩でもあった。後のMJスペシャルズやセド/グロエキスパートといった車種別限定チームが誕生するきっかけを作った。
「VIPを始めて良かったことは、全国に友達ができたことです」。そんな風に語るオーナーは今も多い。仲間がいるからドレスアップは面白い。
昭和、平成、令和。途絶えることなく、脈々と受け継がれるVIP文化はこうして生まれた。改めて振り返ると、VIPとは人と人との出会いによって、大きく広がっていったというのが分かる。
ちなみに、『VIPスタイル』は、この3年後の2000年10月に創刊することになる。
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